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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)610号 判決 1986年1月28日

原告

坂本良江

坂本直也

坂本和博

原告兼坂本直也、坂本和博法定代理人親権者母

坂本利子

右原告四名訴訟代理人弁護士

下田幸一

中嶋一麿

被告

小柳安政

右訴訟代理人弁護士

三善勝哉

主文

一  被告は、原告坂本利子に対し、二三万円、その余の原告らに対し、それぞれ七万六六六七円及びこれらに対する昭和五六年一二月一五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告らの負担とする。

四  この判決は、主文第一項につき、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者双方の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告坂本利子に対し、三〇八四万五六七三円、その余の原告らに対し、それぞれ九九五万一八九一円及びこれらに対する昭和五六年一二月一五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五六年一一月五日午後五時ころ

(二) 場所 東京都墨田区東駒形一丁目一番一〇号先路上

(三) 加害車両 普通貨物自動車(足立四五そ一一〇七) 右運転者 被告

(四) 被害者 坂本整嗣(以下「亡整嗣」という。)

(五) 事故態様 被告は、事故現場路上左脇に駐車していた加害車両を運転し、発進した際、直近前方に駐車中の車両に乗車するため運転席ドアを開けようとしていた亡整嗣の右足中足骨部分を、左前輪で轢過した(以下「本件事故」という。)。

2  責任原因

(一) 被告は、加害車両を保有し、自己のため運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条の規定に基づき、亡整嗣及び原告らが本件事故によつて被つた損害を賠償すべき義務がある。

(二) 被告は、加害車両を運転中、前方不注視、発進不適当、運転操作上の過誤等の過失により本件事故を惹起させたものであるから民法七〇九条の規定に基づき、亡整嗣及び原告らが本件事故によつて被つた損害を賠償すべき義務がある。

3  亡整嗣の受傷、治療の経過及び死亡

(一) 受傷

亡整嗣は、本件事故により、右足部挫傷、右第一中足骨亀裂骨折等の傷害(以下「本件傷害」という。)を被つた。

(二) 治療経過

(1) 通院 昭和五六年一一月六日から一二月一四日まで下井整形外科病院(通院実日数二四日)

(2) 入院 同月一四日及び一五日 民衆病院

(三) 死亡

(1) 亡整嗣は、昭和五六年一二月一五日午前零時二分、既往症としての求心性心肥大のため、心臓発作を起こし、同時に嘔気をもよおして嘔吐し、吐物を気管内に吸引し、気道閉塞状態を形成して窒息により死亡したものである。

(2) 亡整嗣の直接の死因は前記のとおりであるが、本件事故と同人の死亡は因果関係がある。

ア 同人は、死亡する四〇日前の昭和五六年一一月五日に本件事故によつて本件傷害を被り、継続して通院加療していたもので、死亡するまでの間、受傷した右足では一貫して歩行不能であつたため、松葉杖を使用する等して辛うじて通院し、自宅ではほとんど寝たきり状態での病床生活を送り、療養していたものである。

イ 本件事故以前、同人は、さしたる病歴はなく、大工の仕事に精勤していたのであるが、本件事故を契機に極端な運動制限状態を強いられ、安静を余儀なくされ、生活環境は動から静へ一八〇度急変し、そのために心臓に過重な負担をきたしたものである。また、本件傷害は足痛が著明で、その肉体的苦痛は顕著であり、終始安静を余儀なくされて身の自由がきかず、就業復帰の目途もたたないため恩義のある知人から依頼されて施工中の建築工事の進行に頓座をきたし、そのために迷惑をかけていることを絶えず気にかけ、働くことができないため、収入が途絶し、生活の不安に陥るなどの焦燥、苛立ち等強度の精神的ストレスが日増しに蓄積し、このような同人の被つた精神的、肉体的打撃がこうじて前記心疾患の急激な悪化に際立つて拍車をかけたため、心臓発作を誘発し、死亡するに至つたものである。

ウ 右のとおり、亡整嗣の死亡は、既往症としての心疾患(求心性心肥大)の病的因子と、本件事故による本件傷害に伴う精神的肉体的打撃という偶発的因子とが競合的に作用してもたらされたものであり、本件傷害の内容・程度、同人の本件事故前の病歴及び生活状態、事故受傷後の治療経過、本件事故と死亡との時期的接近等の諸事情に鑑み、後者は同人の死亡に対し、決定的かつ重大な誘因、原因をなしたものである。

エ 以上のとおり、本件事故による本件傷害と死亡との間に相当因果関係があることは明白であり、他に誘因、原因があるとしても、本件傷害の寄与度は高いものである。

4  損害

(一) 治療費 八万五九一〇円

(二) 休業損害 四八万七七六〇円

(三) 逸失利益 三九二九万一三四七円

亡整嗣は、昭和五年一一月二八日生まれで死亡時五一歳であり多年大工として稼働してきており、本件事故前三か月間の賃金収入は合計約一一二万円であり、年収換算で四四八万円である。これは昭和五六年度の収入であり、全国建設労働組合総連合の東京都下における組合員の大工の協定賃金は、以下のとおり推移している。

昭和五六年度 日額一万六〇〇〇円

昭和五七年度 同一万七〇〇〇円

(対前年比上昇率六・二五%)

昭和五八年度 同一万七五〇〇円

(同二・九四%)

昭和五九年度 同一万八〇〇〇円

(同二・八五%)

昭和六〇年度 同一万八五〇〇円

(同二・七七%)

そこで前記年収額四四八万円を基礎とし、これに昭和五七年度以降の右協定賃金上昇率を加味勘案し、亡整嗣は、一家の支柱であつたから生活費の控除割合を三割とし、稼働可能年令六七歳までの中間利息控除につきライプニッツ係数を用いて逸失利益を計算すると次のとおりとなる。

(計算式)(39万2000円+37万7000円+35万1000円)×4×1.0625×1.0294×1.0285×1.0277×(1−0.3)×10.8377=3929万1347円(円未満切捨)

(四) 傷害慰藉料 四〇万円

亡整嗣は、本件事故により、本件傷害を負い、その後死亡するまでの間、前記のとおり継続加療していたものであり、右傷害、その後の加療を通じ精神的苦痛を被つたが、その苦痛を慰藉するに足りる金額は四〇万円を下回ることはない。

(五) 死亡慰藉料 一〇〇〇万円

亡整嗣は、本件事故時において五〇歳の働き盛りで、家庭にあつては一家の支柱として原告ら家族の生活を一手に支えてこれを扶養し、子供らの将来の成長を楽しみにしていたものである。その精神的苦痛を慰藉するに足りる金額は、一〇〇〇万円を下回ることはない。

(六) 遺族固有の慰藉料 合計六〇〇万円

(1) 原告坂本利子(以下「原告利子」という。) 三〇〇万円

同原告は、亡整嗣の妻であり、昭和三六年に亡整嗣と結婚し、それ以来同居してきたものであり、同人との間の子ら(その余の原告ら)三名を今後女手一つで養育していかなければならず、その精神的苦痛を慰藉するに足りる金額は三〇〇万円を下回ることはない。

(2) その余の原告ら 各一〇〇万円

同原告らは、いずれも亡整嗣の子であり、その精神的苦痛を慰藉するに足りる金額は各一〇〇万円を下回ることはない。

(七) 葬儀費 一〇〇万円

原告利子は、亡整嗣の葬儀費として一〇〇万円を支出した。

(八) 弁護士費用 四〇一万円

原告らは、被告が任意に支払いをしないため、原告ら訴訟代理人らに委任して本訴を提起せざるを得なくなり、右訴訟代理人らに対し、原告利子は二〇〇万円の、その余の原告らは、それぞれ六七万円の報酬の支払いを約した。

5  相続関係

原告利子は、亡整嗣の妻、その余の原告らは、いずれも亡整嗣の子であつて、同人の被告に対する損害賠償請求権を、法定相続分に応じて、原告利子において二分の一、その余の原告らにおいて各六分の一ずつ相続により取得した。

6  損害のてん補

原告らは、治療費八万五九一〇円及び休業損害四八万七七六〇円については自賠責保険から支払いを受け、これを原告らが相続により取得した損害賠償請求権に法定相続分に応じて充当した。

7  結論

よつて、原告利子は、被告に対し、本件事故による損害賠償として三〇八四万五六七三円、その余の原告らは、被告に対し、それぞれ九九五万一八九一円及びこれらに対する本件事故の日の後である昭和五六年一二月一五日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(事故の発生)の事実は認める。

2  同2(責任原因)の事実中、(一)は認め、(二)は否認する。

3  同3(亡整嗣の受傷、治療の経過及び死亡)の事実中、(一)(受傷)、(二)(治療経過)は認める、(三)(死亡)のうち(1)は認め、(2)は争う。

亡整嗣の病的素因を発症誘発し、同人を死に至らせた原因については、仮に精神的肉体的ストレスがあつたとしても、それは機能上のものであるから、それが病的素因に対し悪影響を与えたか否かの医学上の判断はそもそも不可能であつて、本件事故と亡整嗣の死亡との間に相当因果関係は認められないものというべきである。

4  同4(損害)の事実中、(一)及び(二)は知らない。(三)のうち亡整嗣の年収額は否認し、その余は知らない。(四)は知らない。(五)及び(六)は争う。(七)及び(八)は知らない。

5  同5(相続関係)の事実は知らない。

6  同6(損害のてん補)の事実は認める。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(事故の発生)の事実、同2(責任原因)の(一)の事実は当事者間に争いがない。そうすると、被告は、自賠法三条の規定に基づき、亡整嗣及び原告らが本件事故によつて被つた損害を賠償すべき義務がある。

二同3(亡整嗣の受傷、治療の経過及び死亡)の事実中、(一)(受傷)及び(二)(治療経過)並びに(三)(死亡)のうち亡整嗣が、昭和五六年一二月一五日午前零時二分、既往症としての求心性心肥大のため心臓発作を起こし、同時に嘔気をもよおして嘔吐し、吐物を気管内に吸引し、気道閉塞状態を形成して窒息により死亡したことは当事者間に争いがない。

三原告らは、本件事故と亡整嗣の死亡との間に因果関係が存すると主張するので、この点につき判断する。

1  <証拠>を総合すると、以下の事実が認められ、<証拠>中、以下の認定に反する部分はいずれも措信できず、他に右認定に反する証拠はない。

(一)  亡整嗣は、昭和五年一一月二八日出生し、一八歳のころから大工として働き、昭和三五年に原告利子と結婚したのちも大工の仕事に従事していたが、結婚以来本件事故にあうまでの約二一年間は健康であつてほとんど疾病のため通院したことはなく、循環器系統を含め病歴及び高血圧、動脈硬化、高コレステロール血症の傾向、兆候などはなく、動悸、目まい、息切れ等の症状もないほか、仕事のための過労、過度の飲酒等による日常生活の不節制等はなく、喫煙も一日一箱程度であつた。亡整嗣は、昭和五二年に生命保険に加入したが、その際、生命保険会社に対し、昭和五〇年一〇月右示指第二関節を木工機で切断し、一か月の加療で治癒したことがあるほか、病気や手術で一週間以上の治療を受けたことや手術を勧められたことはない旨告知しており、また、その際の医師長林造の検診によれば、亡整嗣には、右示指に手術痕があるほか、胸部の聴打診・心界・心音に異常はなく、脈拍は一分間六六回の正常値であつて、結滞、不整脈はなく、血圧は最大一三八、最小八九、尿に蛋白、糖はなく、身長一五七センチメートル、体重五四キログラムであつた。

亡整嗣は、日ごろは朝七時から七時半ころにかけて仕事に出かけ、夕方七時ころ帰宅して一一時に就寝するという生活であり、仕事に打ちこんでいた。

(二)  亡整嗣は、本件事故の翌日である昭和五六年一一月六日下井整形外科医院で「右足部挫傷、右第一中足骨亀裂骨折」で、受傷以後約二か月の安静加療を要するとの診断をうけ、入院するよう勧められたが、本人の希望で通院することになり、同日から死亡する前日の一二月一四日まで同医院に二四日間通院し、治療を受けた。亡整嗣は、受診当初受傷部位の痛みを訴え、同人の右足親指の付け根付近に皮下血腫があり、右足関節足背部に一センチ程度の腫脹が認められたため、下井庄之輔医師(以下「下井医師」という。)は、通院期間中、内服としてボルタレン(鎮痛消炎剤)三錠、ダーゼン(消炎鎮痛酵素制剤)三錠等を一回分として二四回分を一一月六日、同月一六日、二四日の三回に分けて与え、一一月六日と九日に患部のレントゲン撮影をしたが骨の亀裂の状態自体は撮影結果には現われなかつた。そして、下井医師は、亡整嗣に対し、ほぼ通院回数程度の二一回患部の包帯を交換し、また外皮用薬(湿布)として鎮痛効果のあるラクールエースを一一月六日に一〇〇グラム一回、同月一三日、一九日、一二月三日に二〇〇グラム計三回を与えたが、治療を継続するにともない当初から一週間程度のうちに亡整嗣の受傷部位の自発痛がなくなり、体を動かしたときに痛む程度に軽減したが、痛み、腫れとも完全に消失するには至らず、右足をついて歩行することはできなかつたため、亡整嗣は、家族の援助を受けタクシーに乗り、一人で医院に通院したものの、医院に到着すると、タクシーを降りて松葉杖で医院入口まで行き、そこから片足飛びで診察室へ入室するという状態を続けていた。しかし、亡整嗣の症状は、軽快してきたため、歩行をするための準備として、一二月一一日、一二日、一四日には温熱療法が施されるようになつたが、右の時点では何時ころから歩行が可能になるかについては不明であり、また、通院する期間があと一週間になるか一か月になるかは下井医師にとつても判断はつきかねる状態であつた。

(三)  亡整嗣は、同月一四日午後一一時一五分ころ、自宅で就寝したが、夜半に目を覚まし、娘である原告良江に対し、気分が悪い旨告げた。そのため原告良江は、同人をこのまま寝かせておくのが不安になり体を起こすようにいつて、手を貸して上体を起こさせ、背中をさすつたりし、飲み物がほしいか聞いたところ白湯がいいといつたので白湯を持つて行き、その茶腕を手渡したところ、同人が一口ぐらい飲んだのでその部屋を出た。しかし、五分もたたないうち、突然亡整嗣の部屋から普段と違ういびきの音がしたので、原告良江が部屋に様子を見にいつたところ、亡整嗣は口から泡状のよだれを流し、顔には青味が帯び、目はとろんとしていた。そこで原告良江は、少し肩をゆすってみたり、頬を軽くたたいてみたりしたが、反応はなかったため二階にいた原告利子を呼び、同原告は電話で救急車を呼んだ。救急車は一〇分くらい後に到着し、救急隊員が亡整嗣に心臓マッサージをしたり、吐物を吸引したり、人工呼吸をしたりしたうえ、民衆病院へ同人を搬送したが、同人は翌一五日午前零時二分に死亡した。

(四)  右死亡の死因を究明するため遺体は東京都監察医務院監察医の上野正彦医師(以下「上野医師」という。)の手により行政解剖に付され、上野医師は、(a)気管・気管支内に胃内容物充満、気管支粘膜血管記盈著明、吐物吸引による窒息、肺気腫状、(b)求心性心肥大四〇〇グラム、冠状動脈軽度硬化、僧帽弁やや肥厚などがあるとし、死因は求心性心肥大のために心臓発作が生じ、嘔気を催し、嘔吐し、通常ならば吐物は口外に排出されるべきであるが、病的発作のために吐物を気管内に吸引し、気道閉塞状態を形成して窒息、急死したものであり、亡整嗣の死亡は、求心性心肥大という病的所見に由来した吐物吸引による窒息であり、医学上は病死の範疇に入るべきものであると診断した。

2  <証拠>によれば、以下の事実が認められ、以下の認定に反する証拠はない。

(一)  原告利子は、亡整嗣の死亡した件につき、自賠責保険の被害者請求を行つたところ、自動車保険料率算定会の査定では、被害者の初診時の傷病名、治療経過、既存障害、死亡原因に照らし、本件事故と亡整嗣の死亡との間には相当因果関係はないとして死亡保険金が支払われなかつた。

そこで、原告利子及び同良江は、解剖の執刀医であつた上野医師と面会し、亡整嗣の本件事故から死亡に至るまでの状況を説明したうえ、本件事故と亡整嗣の死亡との因果関係について意見書を作成するように依頼した。

(二)  それをうけて上野医師は、ほぼ原告利子及び同良江の説明を前提とし、本件事故と亡整嗣の死亡との因果関係について意見書を提出し次のような内容の見解を示し、また、本訴において概ね右と同趣旨の証言をしている。

(1) 亡整嗣の死亡の原因は、求心性肥大という病的所見に由来した吐物吸引による窒息死であり医学上は病死の範疇に入るべきものであるが、同人は、死亡する四〇日前の昭和五六年一一月五日に本件事故にあい、本件傷害のための通院加療中であり、以来戸外での歩行は松葉杖を使用し、家の中では布団を敷いたまま、寝たり起きたりの生活であつたということであり、その傷害と本人の死亡との因果関係について考察すると、外力作用と病死(病的発作)とは異質のものであるが、一個の生体として観察すると、従来元気で働いていた者が、傷害の結果、著しい疼痛と強度の機能障害(歩行困難)等から、運動は極度に制限され、安静を余儀なくされて生活環境は動から静へと急変したのであるから、本人の肉体的精神的ストレスは強度であつたと推測され、このストレスが本人の心臓発作を誘発させる遠因になつたと考えて医学上矛盾はない。本件傷害当時本人には求心性心肥大の疾病の素因があり、しかも早晩発症する程度であつたものが、この傷害によるストレスのため心臓発作の発症の時期が早められたと考えられる。

(2) 解剖所見のみから交通外傷と病的発作の間に因果関係があるとする医学的根拠は見出せないが、それとは逆に、交通外傷と病的発作の間に因果関係はないとする医学的根拠もまた見出せない。したがつて、この因果関係の存否はいわば五分五分といわざるを得ず、仮に五分五分であるならば、人問は誰でも例外なく過去の経歴(病歴)を背負つて生きているので、本件の場合交通外傷とそれに伴うストレスなどが、本人の病的素因を誘発したと考えるほうが、何ら関係がないと考えるよりも、医学上正しい判断といえる

3  他方、帝京大学法医学教室に対する鑑定嘱託の結果によれば、三木敏行教授(以下「三木教授」という。)は、次のように判断していることが認められる。

(一)  ある疾患に罹患していたとき、この本質的な原因とは無関係に、その疾患を増悪させる原因を誘因というが、潜在的疾患が、この疾患の本質的な原因とは無関係な原因で発症したとき、この原因もまた誘因といわれており、肉体的精神的ストレスは心臓発作の誘因となるとされている。亡整嗣の交通事故によるストレスが心臓発作の誘因となつたか否かにつき、これを判断する根拠となるものは、(a)交通事故による肉体的精神的ストレスの程度、(b)交通事故後心臓発作までの期間が四〇日であること、(c)心臓の病変の程度、である。

(二)  亡整嗣の心臓の重量が四〇〇グラム、心重量(グラム)と身長(センチメートル)との比が二・五五であるので五一歳という年令を考慮すると心臓は高度に肥大しているとはいい難い。心臓発作で急死した場合、心重量が五六四・九グラム以上、心重量(グラム)と身長(センチメートル)との比が三・六九以上であれば心肥大に求めるのがより妥当であるとされるが、それ以下の場合は死因が心肥大である可能性はあるが、そうとも断定しかねるとされる。しかし、心肥大の程度が強くなくても心肥大以外には死因をあげ得ない場合も当然ある。亡整嗣の死体解剖の結果得られた心臓の所見から、心臓の発作を起こし易い状態にあつたかどうかは必ずしも推知し難いし、五一歳の自覚症状が全くない亡整嗣程度の求心性心肥大のある肉体労働者は、どの程度のストレスが加わればこれが誘因となつて心臓発作を起こすのかは明らかにし難い。

(三)  一般論として、心肥大のある患者が心臓発作をおこして死亡したとき、発作の誘因となる可能性があるとして経験的に知られている侵襲、たとえばストレスが加えられており、それ以外に誘因となりうるものが全くないときには、その加えられた侵襲が心臓発作の誘因であると考えるのが医学の常道である。しかし、侵襲がある程度以上に大きいことが必要であり、余りに微弱である場合には、たとえ加えられたとしても心臓発作の誘因であるとして肯定するのは穏当を欠くことになる。本件の場合、交通事故によるストレスが強度ならば、心臓発作の誘因となつたと考えて良いであろうが、ストレスがそれ程強度でない場合には、そのようであるとはなし難いと考えられる。

(四)  いま仮りに亡整嗣と同程度の求心性心肥大があり、具体的条件も同一な肉体労働者が、同程度の交通事故にあつたとしたとき、その交通事故によるストレスが誘因となり発作を起す危険性はどの位あるものであるのかというと、人間の身体的条件は一定ではなく、諸種の条件により微妙に変化しているとされており、心臓に与えられている負担も常に一定であるとは限らず、一例を挙げれば感情、用便、睡眠、気温、湿度、気圧などにより刻々変化するものであり、したがつて、心臓の余力もそれに従つて変化すると予想されるから、現在の医学の知識では判らないような原因により心臓の負担の増減している可能性も当然みなければならない。求心性心肥大がある場合、その機能は、常にある一定の低下した状態を保ち続けているわけでなく、心機能に余力のあるときもないときもあろうと考えられるからで、本件と同様な交通事故によるストレスが加えられたとしても、心臓発作の原因となるか否かを推定することは困難とせざるを得ない。

(五)  亡整嗣には既往症として求心性心肥大があり、そのため心臓発作を起こして嘔吐し、その吐物を気管、気管支内に吸引して死亡したものであるので、同人の死亡となつた疾患は求心性心肥大であると考えられる。本件事故・受傷が亡整嗣の求心性心肥大を悪化させたかどうかは明らかにし難く、また同人の心機能が本件事故・受傷により悪影響を受けたかどうかも明らかではないが、本件事故・受傷が同人の死亡の主因や副因とはならなかつたと判断される。本件事故・受傷が心臓発作の誘因となつたかどうかは、与えられた資料の範囲内では断定し難く、またその死に対する寄与度も明らかにし難い。

4(一) 右上野医師の見解と鑑定嘱託の結果を対比してみると、上野医師も三木教授も肉体的精神的ストレスにより亡整嗣の既往症である求心性心肥大による心臓発作が起こる可能性を認めているものの、同人の死亡との因果関係については、前者は積極に近く、後者は消極的な結論になつているが、亡整嗣の直接の死因、肉体的精神的ストレスと心臓発作発生の可能性などの医学上の判断について、両者の見解にほとんど異なるところがないとみられるから、両者の結論の相違は、もつぱら亡整嗣の肉体的精神的ストレスの程度の認識判断に相違があることに帰着すると考えられる。

(二) そこで、本件傷害による亡整嗣の肉体的精神的ストレスの程度について検討するに、原告利子及び同良江は、本訴における本人尋問において以下のとおり供述し、上野医師に対してもほぼ同趣旨の説明した旨述べている。

(1)  亡整嗣は、本件事故により、本件傷害を受けたが、以来外での歩行は松葉杖を使用し、家の中では布団を敷いたままの寝たり起きたりの生活であり、そのため、従来元気に働いていたものが、本件傷害の結果、著しい疼痛と強度の機能障害(歩行困難)などから、運動は極端に制限され、安静を余儀なくされて、生活環境は動から静へと急変し、本人に対する肉体的精神的ストレスは強度なものであつた。

(2)  本件事故当時、亡整嗣は、長年来つきあいのある親方で、多大な恩義のある高松から高松の知り合いの家屋新築工事を頼まれ、これに従事していたのであるが、本件事故で、右工事の計画は全く狂い、大幅な工期遅れが避けられなくなつたため、大いに気をもみ、足さえ動けばと嘆いて責任を痛感していた。

(3)  亡整嗣は、通院加療によるも一向に完治の見通しが立たないまま、安静にして治療に専念しなければならない状態が続いていた。

(4)  亡整嗣は、一家の支柱として、大工として家計を支え、原告ら妻子を一手に扶養していたが、本件事故によつて休業状態を強いられ、収入が途絶えたうえ、蓄えもなかつたため、生活苦に陥り、前記のように就業復帰の目途がたたなかつたため、焦燥・苛立ちは日増しにつのつていつた。

(三) しかしながら、前認定のように、亡整嗣は受傷後一週間のうちには受傷部位の自発痛がなくなつて、次第に症状が軽快しつつあり、しかも死亡直前の一二月一一日一二日、一四日には歩行を開始するための準備として温熱療法を開始していたのであり、また、受傷部位が中足骨であるから歩行に困難をきたしているものの、骨折の程度としては軽度のものであつて、付添いなしで通院していたのであるから右の(1)の原告利子及び同良江の供述部分は、たやすく措信できず、また、右の点からみて右の(3)の原告利子及び同良江の供述部分もにわかに信用することができない。

また、鑑定嘱託の結果と弁論の全趣旨によれば、骨折、挫傷による疼痛は事故後しばらくの間は存続するとしても間もなく消失し、その後は安静時にはなく、あつても歩行時のみと考えられ、激しい肉体労働から安静への生活へ移つたとしても、逆の場合とは違い余りストレスとはならないかもしれないし、また、家屋の新築工事の工期の遅れもやむを得ない交通事故が原因によるものであるから幾分かは注文主等に対し言い訳が立つかもしれないことであり、更に、生活費については受傷により直ちに収入が途絶えるということがないうえ、後日保険による補償が予想されることなどからすればストレス自体それほど強度であつたとはいい切れないものと認められるから、原告利子及び同良江の右(1)ないし(4)供述には軽々に信を措き難く、亡整嗣の肉体的精神的ストレスについては、原告利子及び同良江の供述よりかなり低い程度のものであつて、それが心臓発作の原因となりうるほどのものであつたとは認めることができないものというべきである。

(四) 上野医師の判断は、原告利子及び同良江の説明した前記(二)の(1)ないし(4)のような事情を前提としたものであるところ、原告利子及び同良江の右(二)の(1)ないし(4)の供述はいずれも採用することができず、亡整嗣のストレスは、右のように、原告利子及び同良江の説明ないし供述する状態よりもかなり低い程度であつたというべきであるから、その判断の前提事実に誤りがあるといわざるをえず、鑑定嘱託の結果と対比してその結論的判断は、到底採用し難いものであり、他に本件事故と亡整嗣の死亡との間に相当因果関係を認めるに足りる証拠はない。

5  以上の次第で、本件事故による傷害と亡整嗣の死亡との間に相当因果関係を認めるに足りないから、被告は、亡整嗣の本件傷害に件う損害については、これを賠償すべき義務を免れないが、死亡による損害については責任がないものというべきである。

四そこで、本件傷害による損害額について判断する。

1  治療費 八万五九一〇円

<証拠>によれば、亡整嗣は、本件事故による治療費として八万五九一〇円を要したことが認められる。

2  休業損害 四八万七七六〇円

前認定のように、亡整嗣は、本件事故日の翌日から死亡日まで四〇日間休業を余儀なくされたところ、<証拠>によれば、亡整嗣は、事故前の昭和五六年八月から同年一〇月までの三か月間に一一二万円(一か月約三七万円)程度の収入を得ていたことが認められ、右認定に反する証拠はないから、四〇日間の休業により亡整嗣が被つた休業損害は、被告がその支払を自認する四八万七七六〇円を下らないものと認めるのが相当である。

3  傷害慰謝料 四〇万円

前記通院治療期間、通院実日数、傷害の内容、程度(特に本件傷害が入院を必要とする程度の重度のものであつたこと)、その他諸般の事情も考慮すると、亡整嗣が本件事故によつて被つた精神的苦痛を慰謝するための慰謝料としては、四〇万円が相当である。

4  原告らの相続

以上1ないし3の損害賠償額の合計は、九七万三六七〇円となるところ、原告利子本人尋問の結果によれば、原告利子は、亡整嗣の妻であり、その余の原告らは、いずれも亡整嗣の子であると認められるから、亡整嗣の死亡に伴ない、原告利子は亡整嗣の損害賠償請求権の二分の一の四八万六八三五円その余の原告らは、各六分の一の各一六万二二七八円(一円未満切捨)宛相続により取得したものである。

5  損害のてん補 五七万三六七〇円

原告らが自賠責保険から合計五七万三六七〇円の支払いを受け、これを原告らが相続により取得した損害賠償請求権に相続分に応じ原告利子につき二八万六八三五円、その余の原告につき各九万五六一一円(一円未満切捨)宛充当したことは当事者間に争いがないから、本件事故による損害賠償請求権は、原告利子につき二〇万円、その余の原告らにつき六万六六六七円となる。

6  弁護士費用 合計六万円

原告らが原告ら訴訟代理人らに本訴の提起・追行を委任し、相当額の報酬の支払を約束したことは弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、本件事案の性質、事件の経過、請求認容額等諸般の事情に鑑みると、本件事故と相当因果関係があるものとして被告に対して賠償を求めうる弁護士費用の額は、原告利子につき三万円、その余の原告らにつき各一万円、計六万円とするのが相当である。

7  損害合計

以上によれば、本件事故による損害賠償請求権の額は、原告利子については二三万円、その余の原告らについては各七万六六六七円となる。

五以上のとおりであるから、原告利子の被告に対する本訴請求は、損害賠償として二三万円その余の原告らの被告に対するそれはそれぞれ七万六六六七円及びこれらに対する本件事故の日の後である昭和五六年一二月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから、右限度においていずれも正当として認容するが、その余は理由がないからいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条を仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官塩崎 勤 裁判官福岡右武 裁判官宮川博史)

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